子どもの経験と学習について
絵本作家である安野光雅さんの「考えるこども」というエッセイ本を読んだ。
子どもが自分で経験して考えて判断して実行することの大切さが書いてあった。
経験から学ぶこととはちょっと違うかもしれないけれど、天気予報を聞いて「今日は午後から寒くなるから上着を持っていこう」と自分で判断するのも大事なこと。
「今日はちょっと涼しいから長袖にして」
子どもが自分で判断することができるようになるよう、日々「○○だから、✕✕して」と言っている。
半袖を着ていって寒かった経験を何度かしたら、気温の上がらない日は長袖にするかなー?と思っても、まったくそんなことはない。子どもは喉元すぎればなんとやらで、すっかり忘れてしまう。(むしろ、脱いだり着たりが面倒でどこかに忘れてきてしまいそうだから、ちょっとくらいの暑い寒いはがまんしようと思っているのかもしれない。それも経験から学んだことだからいいのかなー?)
そして、風邪を引いて学校を休まれるほうが面倒なので、親が言ってしまう。
せめてもと思い、「○○だから」と理由を言って、自分で判断する状況でそれを思い出せればと思っている。
けど自分で判断しなきゃいけないときは多分そんなこと思い出さないんじゃないかなぁと思う。
年齢とかうちの子の発達度合いに合っていないだけで、そのうちやるようになるかな?
でも大人でも、そういうのってあんまりできなかったり気にしないであとで困っている人もいるもんなぁ、なんて考えてしまう。
なんとなくのコツを掴むのとか、生活のなかで法則を発見して(まさに経験から学習して)こうやったほうがいいなと応用するのって、元々の得意不得意があると思う。私は程ほどにできるほうだと思うのだけど、夫はまるっきしそういう勘がなくて、子どもも夫に似たタイプでは?という感じがしている。
生活上の経験からの学習をちょっとでも伸ばすべく導いたほうがいいのか?
「こうは思わない?こう考えたらいいよ!」って言い続けるのも(きっと言われ続けるのも)嫌なので、そこは少し目をつぶって、好きでやりたいことに注力させてあげたほうがいいのか。
日々の子どもの過ごし方ってどんな感じがいいんだろう?うちはどうできるだろう?
年齢や個性に合っていないインプットもあるだろうし、インプットしすぎとかアウトプットを強制するのもよくないだろう。
子どもの意に沿わないことを言うと、「言わなくていいよ」と言われて耳を塞がれてしまう。
それでも子どもにそういう働きかけができて効果的なのってこれから数年の間なのかなぁと思うので、尚更考えてしまうのです。