生活IROIRO

私なりによりよい生活を目指していく上での日々の記録です。将来の我が子へ。

コロナ禍の世の中で育つ

自分の最初の頃の記憶って幼稚園くらいのときだけれど、感情や気持ちや感覚を伴った記憶がいくつもあるのは小学校の低学年の頃から。

 

特に旅行や田舎のおじいちゃんおばあちゃんちへ行ったことなど。

一面の雪景色、一面の田んぼ。

きもだめしをやったときのドキドキや、スイカ割りの風景。

学校行事、運動会や学芸会なんかも少しは覚えている。

この頃の初めての経験は、実感を伴ってのちのちまで覚えている。

 

 

我が家はここ数年、コロナが流行るよりも前からあまりお出掛けをしなくなってしまったけれど、今子育てをしていて、昔の感覚とは違うのかなと思う。

自分が旅行に連れていってもらってたから子どもにも同じような経験をさせたい!とか、自分が子どもの頃に海外に行っていたら視野が違っていたかもしれない、自分の子どもにはぜひ!と思っていたこともあった。

 

でも。

それは現状難しいし、それをする必要も、そこに固執する必要もないのかもしれないなぁと思う最近です。

 

娘は写真をみて「本物をみたことがある!」と言う。当然私からしたら全然違うのだけど、絵じゃない、リアルにあるものと同じ姿だからそう言うのだろう。

私が子どもの頃は写真を観るのも図鑑で調べないと難しかった。実物を探したほうがまだ簡単なものも多かった。旅行やお出かけだって経路検索なんてないし、どんな見所があるのかも、人の話や雑誌やテレビなどにアンテナを張っていないとわからない。

でも今はスマホで調べれば一瞬。

誰でも、本物をみたことがなくても本物の姿を知ることができる。 地球の裏側の様子も知ることができる。体験はしていないけれど、先にある程度の知識が身に付いてしまう。そしてまた調べればいいのですぐに忘れてしまう。

 

物の所有もそう。

昔はお誕生日に買ってもらったようなおもちゃが100円ショップで気軽に手に入って、いつでも買ってもらえたり普通に家にあったりする。欲しいものをネットで調べて安いところを探して購入すれば、家まで届く。

 

レアな経験、レアな知識、物を所有することの価値がぐんと下がっている。

多くの子どもがそういう子ども時代を経て大人になっている。それを前提として、それならどうするの?その先どうするの?この状況で何が必要なの?がものをいうんだろうな。

 

今もうそういう子どもたちが大人になっているのだろうけど、コロナを気にする世の中になって、好む好まざるに関わらず実体験が難しくなってきた。自分が子どもを育てていて、いい悪いは別として、本当に昔とは違うんだなと実感している今です。

 

こんなときでも海外でアクティブに過ごしている知人も何人もいて、彼らの動向はそれはそれで気になるのだけれど、、、


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