生活IROIRO

私なりによりよい生活を目指していく上での日々の記録です。将来の我が子へ。

チューリップの生命力

チューリップの花が咲いた。

 

正月頃に植えたチューリップの球根。

10月くらいに植えるのがベストらしい。

遅く植えても背は高くならないけれど花は咲く、との情報を得て、寒くなってからあわてて植えた。

 

大分ずさん。

土が少しずつ風で飛ばされる。

足す土もなく、球根の上の方が出てきています。

水やりは2,3日に一回。

忘れないように、絶対に目につく玄関付近に置いた。

 

暖かくなってきて、急激にぐんぐんのびて、あっという間につぼみができた。びっくり!

つぼみが葉っぱの中に隠れている。

やっぱり球根を寒さにあてる時期が短かったから、小さいチューリップになったのかな?と思いきや、、

花が咲いてからもぐんぐんのびる。

一晩で10センチくらいのびたのではないかな?

 

チューリップの生命力、すごい!

と、感動。

球根大きいものね。

栄養いっぱい蓄えてるよね。

 

そう考えると、朝顔やヒマワリだって、種は小さいのにキレイな花を咲かせて、そのあとに大量の種を作る。

こちらもすごいな。

 

野菜は一つ一つの実に栄養を取られちゃうのかな。

実がついて食べる喜びはひとしおだけれど、花を観賞する植物から得られる喜びはまた全然別だなぁ、と気付きました。


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初めてのお留守番と親子の関係

子どもが家でお留守番。


ちょっと買い物行ってくるね!ではなく、6時間。
私が一度帰宅し、さらに2時間外出。

私としては小学校の預かりに行ってほしかったんだけど、子どもが望むならそろそろお留守番の日があってもいいかなぁ、と思ってのことです。


何度か鍵を開ける練習はしていたし、周りでも一人で帰って留守番をしたり習い事に行ったりする子が増えています。
今まで一人での留守番は嫌がっていたのですが、子どもはすぐに変わるものですね。


心配なのは、留守番中ずっと何もやらずにテレビをぼーっと観ているだけだったりしないかな?ということ。
生活がグダグダになり、運動不足になるだろうなー、と。

本を読んだり折り紙を折ったり、カプラ(積み木のようなもの)で遊んだりは好きだけれど、果たして家に一人でいるときにやるかな?
何もやらずに時間だけ過ぎちゃった!というのは私でもよくあるけれど、せめて何か好きなことをやっていてほしいな。
と言っても難しいので。
一応、あれとあれはやってね。これもやったら?と、事前に留守番中のことを話しました。

でもまぁ、完全に自分のペースで動けるっていうのが子どもの留守番のワクワクするところでしょうからね!

 

留守中、用事と用事の間に、家にいる子どもに電話をして、「一度帰った方がいい?」と聞いたら、「帰ってきて」と言われ、実はさみしがっている娘に、親として少し安心したのでした。


私自身、「お母さん、どこか出掛けてて!」と言うような子どもでした。
一方で、夜になっても帰ってこない母親にイライラしたりもしていた。

その記憶があるので、子どもには、
「お父さん、お母さん、どっか行ってて!と言うのはなしだよ。ここはお父さんとお母さんの買った家で、あなたはそんなことは言えないからね。私たちはいつ家にいてもいいんだからね」
と予防線を張っておきました。

 

でも多分言われるんだろうなー、と、普段の娘を見ていて思います。
勢いで言っちゃうこともあるだろうから、あまりイライラしないで、それも成長!?と、見守ることにしたいと思います。


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ストリートピアノが好き

ストリートピアノ。

駅構内で、ショッピングセンターで、見かける。
演奏する人の映像を流すテレビ番組もありますね。

一年くらい前は、「鬼滅の刃」の曲や「千本桜」をよく聞いたけれど、最近は「トルコ行進曲」や「幻想即興曲」など、クラシック曲を耳にすることが多い。

ストリートパフォーマンスって海外みたいでなんだかワクワクします。(ストリートパフォーマーも最近私の行動範囲でたまにみかけるようになりました!)
ストリートピアノの発祥は2008年のイギリスだそうですが、ピアノは大道芸と違って、誰が弾いてもいい、上手でなくてもいいところが素敵だなと思います。

たまに、子どもに弾かせてみます。

普通の練習曲がきれいに聴こえる。
高い天井、遠い壁に音が響いて、いい感じに表情のある音になる。

先日は駅のピアノに、年配のおじさんがやってきた。
荷物を置いて、ピアノの椅子を引く。手指消毒をして、使い捨て手袋?軍手?を嵌める。いよいよ座り、ピアノを前にする。
どんなパフォーマンスを披露してくれるんだろう?と、私たちともう一組の母子はワクワク。

たどたどしく「君が代」を弾き(練習し)始めた。
みな、そそくさと退散。
そんな、ワクワク→がっかり(失礼!)、もまた楽しい。

他にもこういう、いろんな人が気軽に参加できて、みんなとシェアできるものってないかな~?誰にでも開かれていて、人とシェアしたいもの。
音楽はやっぱり適してますよね。他の楽器もあるかな?やっぱりピアノがベストなのかな?
大人も参加しやすいものがいいですね。

自分の持っていった本を、置いてある本と交換できる棚も、似たような発想からできたものですかね。

街角冷蔵庫は日本では難しいかな。
やっぱり衛生状態が気になりますし。


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そろえないかっこよさを目指しています

今週のお題「買いそろえたもの」

 

買いそろえることに、あまり魅力を感じません。

好きなものをこだわって買いそろえたい!という情熱も、買いそろえられるだけの経済力もないというのも大きな理由です。

しかし、工夫して代用することのほうにより魅力を感じます。

たとえば、数年前に買い揃えた大がかりなものとしてキャンプ道具があります。
キャンパーによく知られたものでは、キャンプのときに食器を乾かすのに、100均で売られている野菜を干すためのネットを使う。
収納ケースや食器類もキャンプ用のものではないです。
他にも細々したものは大抵キャンプ用ではないような。

服も、キャンプっぽいものは揃えていません。
なんとなく、キャンプにいかにもキャンプのための格好で行くよりも、普段着から使えそうなものを見繕って、普段の延長として行く方がかっこいいのでないかなー?という感覚があります。

節約のため、というのもあるけれど、本来の道具とは違うものを使うのは、意外性がある。
それがいいのです。

収納ケースも、使わなくなったかごバッグで代用するとか、とくに入れ物系は工夫のしがいがあります。

でも多用途のものを使いこなすのは面倒なことが多いのも事実。ちょっとだけここが足りないんだよねー、っていう不便なところがあったり。

それも含めてほどほどを楽しめればと思っています。


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ドローン映像のすごさと、いろんな目線について

最近よく、NHKBSプレミアムのドキュメンタリー番組をみるようになった。

世界のいろんなすごい場所を紹介している番組が好きで、子どもとみている。

 

  • 中国のチャオチェンの龍の巣といわれる洞窟
  • 南米の七色の大地や、七色の川
  • ナイル川流域の探索
  • カメルーンの国立公園

 

などを最近みた。

 

10年くらい前にもよくこういった番組をみていたのですが、今って全然違うのですね。

 

ドローンで撮影した映像がスゴすぎる!

世界の秘境のドキュメンタリーをみて、ドローン映像の凄さを実感しました。

 

僻地で気軽に飛行機やヘリを飛ばすわけにはいかないですし、俯瞰でうつした映像って10年前のテレビにはほとんどなかったような?

 

実際に訪れたことのある秘境では、道なき悪路を四駆で何時間も走った。

10年前は、私が実際にたどったそうした道を、そうそうコレコレ!と思いながら、ドキュメンタリー映像をみていた。

この崖の間をガタンガタンと車ごと転がりそうになりながら走ったなぁ、と思い出しながら、車窓からの映像をみていた。

 

それがスムーズでダイナミックな空撮に、完全に取ってかわられていた。

圧倒的迫力。

 

すごい!上からみるとこんな感じなんだ!全体像はこうだったんだ!と。

 

陸路移動の景色と質感、におい、温度、たまに目にする人や動物、砂混じりの空気、そういった感覚があったからこそ、ドローン映像の感動が強かったのだと思います。

 

みたことのないドローンの空撮映像をみて、それを実体験と照らし合わせ、それぞれの違いとそれぞれの素晴らしさに気付きました。

そして同時に、まだまだ見落としていることもたくさんあるんだろうな、ということにも気付きました。

 

 

空爆や空からの車列の映像なんかをみると特に思う。

それらは事実。

でも誰かの目線ではない。

誰かの目線にスポットをあてたものも、それぞれの人の目線ではない。

それぞれの人の目線にスポットをあててみたとしても、どう感じ、どう考えるかは、またそれぞれ違う。

 

ドローン映像、どんどん普及すると楽しいだろうなと思うけれど、それらは普通の生活では得られない目線。森を見て木を見ず、にならないように、地に足のついた肌感覚も忘れずにいたいな。

と、思うのでした。

 

 

出産前日に食べたフルーツヨーグルト。

同じものを7年ぶりに食べに行った。
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石を拾う

今週のお題「わたしのコレクション」

 

何かにはまっているときは関連のものがほしくなるけれど、実用性のないものはそのうち捨てることになってしまう。

集めるって楽しい。でもスペースとお金を費やしてまで長いこと情熱をかけられるものっ今はないですし、その情熱が傾いてしまったときのことを思うと、もうコレクションはできません。

 

ただ、たまに、石は拾ってきちゃいます。

きっかけは、海外で借りた家のたんすに、面白い石が入っていたこと。

 

「いわくつき?」なんて、全然考えていませんでした。

住んでいた土地がカラッとしていてとても明るく、霊や念なんかとは無縁な雰囲気だったというのもあり、なーんにも考えずに普通に持って帰ってきてしまった。

 

他にも以下の、石のようなものを持ち帰った。

  • 拾ったウニの化石
  • 北アフリカの某砂漠の石
  • 乳香
  • 市場で売ってたよくわからない透明の石(すりつぶして薬にするのかな?)

 

日本でも、一夜漬けを作るのにちょうどいいな、と河原で拾った石を使っています。

キャンプ場でグランドピアノっぽい形の石を拾ったり、子どもと一緒に拾った石にしろくまの顔を書いたりもしています。

 

その程度かなぁ。

拾うといっても年に1、2度程度です。

 

シーグラスやキレイな貝殻を探して拾うのも好きだけれど、海岸に行く機会がほとんどないので、どちらかというと、石派です。

 

実用的なものでは、布、毛糸、折り紙、文房具などはたまってしまいます。

 

前回のエントリで書いたけれど、これらはコレクションというより、捨てられないのですね。

でも、実用的なものをコレクションにすれば、捨てられなくてもあまり罪悪感はないかな?



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家の中で増え続けるもの

今週のお題「引っ越し」

 

引っ越す予定はないけれど、「いつでも引っ越せるくらいの少ない荷物で生活したい」、と、今の家に住み始めたときには思っていました。

洋服はあまり持ってこず、物も増やさない、と。

 

でもやっぱりムズカシイ。

 

要らないものは捨てて、必要なときに買い直せばいいというのはもちろんそうなのだけど、あのとき捨てちゃったあれがちょうどよかったのに、取っておけば買わずに済んだのに、と思いながら買い直すのはやっぱりもったいない。

 

お金がもったいないというのもそうなのだけど、無意味に物を無駄にする(使えるのに捨てる)、前は持っていたのに捨てちゃったから、欲しくないのに必要に迫られて買う、というのにやっぱり抵抗がある。

 

それでやっぱりためてしまうのです。

特に、いらないものほどためてしまいます。

ゴミをゴミとして捨てて、単純にゴミを増やしてしまうのに抵抗があるので、もう一仕事してもらおうと、袋や布(古いTシャツやタオルなど)など、取っておいてしまうのです。

 

物をためない生活ができていたこともあります。

 

2年間限定で開発途上国に住んでいたとき。

2年で引き払うので家具付きの家に住み、大きな買い物はしない。大物や電化製品は質がよくないのに高いので、なるべく買わない。

服も、2年間で着つぶして帰ればいい。 

 

そんな感じで。

贅沢品にはひかれず、外食やカフェでのお茶や、人付き合い(ホームパーティーなど)にお金をかけて楽しんでいました。

 

なにより生活の中でゴミがあんまり出ないんですよね。

お店の袋や包装などはなかったり簡素なものなので、とっておこうと思うようなものではなく、溜め込むことがない。ゴミに出してもかさばるようなものではない。

 

ゴミのようなものがきれいでもったいなくて、ためてしまう、

そういうのは日本ならではだなぁと思いました。

 

引っ越しの際にはそういうのは全て捨てすればいいんですけど、やっぱりもったいないかな~?

服も、少しヨレッとなったのを着て出かけるのは日本ではやっぱり恥ずかしいですしね。


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