生活IROIRO

私なりによりよい生活を目指していく上での日々の記録です。将来の我が子へ。

子どもの要求と大人の都合

「あつまれどうぶつの森」を始めて4日。

データを全て消去しました。

明日マイホームが建っているハズだったのだけど、どんな家なのかを確かめる前に終わりにしました。

発端は私が誤って、娘の納得できない設定を作ってしまったこと。

 

娘が初プレイのときセーブできるところまで進めずに家をでる時間になってしまい、私が自分のキャラですすめてどのくらいでセーブできるところまでいくのかを確かめようとしました。

自分だけの無人島を作るのかと思って、南半球を選び、島の名前をつけた。セーブできるところまで進んでセーブし、こうやるのかぁ、娘に教えてあげられるな、とひと安心した。

学校から帰ってきた娘がもう一度最初からやったら、何か私のときと違う。

あ、もう島は作れないのね。私が作った島に娘のキャラも一緒に住むことになるのか、と、そのとき知った。

 

娘もとにかくゲームがやりたいので、なんだかモヤモヤしつつも状況がよくわからないしでそのままやっていたみたい。

翌日くらいに「雪が降ってるのイヤだ」「なんで南半球を選んだの?私の選んだ(セーブできるところまでいかなかった)島は北半球だったのに。選び直したい~」と言い出した。

「え?(今さら?)。もうゲーム進めているんだよ。ここまでやるの結構大変だったしお金も貯まってきているよ、このまま続けようよ。日本が冬になったらこの島は夏になるんだよ?お母さんが作っちゃったのは申し訳ないけど、知らなかったし仕方がないよ。本当の生活だってイヤだからって住む場所変えたりお父さんやお母さんを変えたりできない。自分がいる場所で楽しむことを考えるでしょ?」と、自分の感覚で言った。

そしてゲームをすごーく楽しんでいたので納得したんだと思っていた。

でも一日に一回くらい、「みんな(友達は)北半球なのに、私だけ南半球いやだ」と。

「あつ森」をやっている友だちのママにも、ことの経緯を一生懸命説明し、熱心に文句らしきことを言っていた。

さすがに私はイヤな気分になり、「もうそれ言うのやめようよ、ゲーム楽しくやってるでしょ?みんなと違うのも楽しいんだよ?それで十分じゃない。そうやっていつまでも言っているの恥ずかしいよ。これから一切やめて。わかった?」と。

娘も納得の返事をし、約束をした(つもりの私)。

 

でもまぁ子どもからしたらそれは「一方的」だったのでしょうね。「イヤならゲームやらないでいい」と言われるのが怖かったのかもしれない。

 

今日私のいないところで父親に話していた。

「お母さんがしつこい。私はリセットしたいと言ったのに。どうしてもこのままでやろうと言ってしつこい。でも昨日、そのことはもう言わないと約束させられた」と。

熱心に自分の気持ちを語っていた。

さすがに口を挟まないわけにはいかないなと判断し、「今日リセットしよう」と私。

ちょっと強く言ってしまい子どもは大泣きしていたけれど、すぐに納得の上前向きに「リセットする」に決まった。

 

相手がいくら正当な理由を言ったって、自分がゲームをどれほど楽しんでいたって、それとは別に、不満な気持ちはそれとしてずっと残るのだろうな。ずっと忘れずに引っ掛かっているのだろうな。「私の要求を受け入れてもらえなかった場面」として。

「もうこんなに進んじゃったんだから、全て切り捨てるなんてよくないよ」と子ども自身がピンとこない理由で押し通すのではなく、「あなたがイヤだったなら、今からリセットしよう、それで全然いいんだよ」と、不満を解消し、そのときの気持ちをセットの記憶として追加するのにまだ遅くはない、と気づいた。

 

イヤだからって周りを考えずに自分の思い通りに変えようとするのはわがままだ。ちゃんと言ってわからせて我慢させたり、親が毅然とした態度をとらないと、お友だちとも同じことになったりして上手くやっていけないのではないか。

夫はこういう感じの考え方なのかもしれない。

 

何歳であってもそれぞれ一人の人間としての特性があり、「その考え方は違う」と本人に言うことで変わるわけではないと思う。子どもには言ってきかせないと、なんて意味がないと思っている。大人だって考え方が違うと言われて変われるわけではないのに。

 

確かに共感力が強く、人のことをよく考えて行動できる子もいる。周りをあんまり気にしないで楽しめるパーソナリティーの子もいる。

でも娘はあまりそういうタイプではない。

今後それらが少しずつ身に付くとしたら、それは数多くの経験によってだと思う。特に同年代と接する経験によって。

 

それに私は、子どもには子どもなりの考え方や意地があり、大人には理解できないことも多いと思っている。ちょっとイヤなことがあるだけで大泣きするなんて、大人にはできない。敏感であり、感情も大きく表れ、視野も狭い。大人感覚でもう少し大人になることを要求しても、それは違うことが多いのではないか、と思っています。